中皮腫の診断とアスベスト曝露
Aさんは1960年生まれの男性ですが、2011年10月頃、呼吸が苦しくなり病院を受診したところ、同年12月20日に中皮腫と診断されたことから、2012年1月頃、当事務所に相談に来られました。私にとって初めての労災事例かつ初めてのアスベスト事例でしたが、同じアスベスト弁護団の渥美玲子弁護士に相談し、共同で受任していただくことができました。
中皮腫の原因として考えられる、30~40年前くらいにアスベストを吸引したかもしれない場所といえば、大学生当時、父親の経営する土建業の会社(B建材)で、アルバイトとして4年間ほど、名古屋港近くの木場町にあった貯木場の埋立工事に携わっていたことでした。
B建材が管理していた貯木場に、名古屋市内のあちこちから建物を解体した廃材、コンクリートガラが一番多かったそうですが、これらをダンプで運びこんでもらい、その廃材を埋立場に積み上げて、ブルドーザーで均していくという工事でした。Aさんは、ブルドーザーの運転手と2人で埋立の現場を受け持ち、ダンプのタイヤがパンクしないように、埋立場の廃材の上を歩き回り、廃材から飛び出た鉄くずや銅線、大きな木くずなどを取り除く作業を担っていました。当時はアスベストのことなど知らなかったことから、タオルで口を覆うことさえせず、朝8時半ころから18時ころまで、週に5~6日程度現場に行っていたとのことでした。
労災認定
2012年4月に労災申請をしましたが、Aさんの中皮腫が、労災と認められるかどうかについての問題は、いくつかありました。
まず、アスベストを吸引したと考えられる約30年前のアルバイトについて、客観的資料が何もないことでした。事業者であったB建材は25年も前に廃業しており、Aさんの作業内容を知っていた父親も他界していました。B建材が名古屋港で埋立事業をしていたことに関する資料さえなく、名古屋港の埋立の歴史を調べてもみましたが、手がかりは見つかりませんでした。
さらに、Aさんがその後、アスベストを吸入しうる他の職にも就いていたことでした。Aさんは大学卒業後、自動車販売店の営業として勤めた後、ピザ店を経営していました。自動車販売店では、営業といっても、併設の修理工場に出入りすることもしばしばあり、タイヤやブレーキマットの交換をすることもありました。ピザ店は、鉄のオーブンでピザを焼いていたそうなのですが、店舗自体は賃借していたためアスベストが使用されていたかどうかは不明でした。
こうした問題がありましたが、渥美弁護士と一緒に、ご本人の詳細な陳述書を作成し、いろいろな資料を探しだした甲斐あって、また労基署がAさんから直接聴き取りを行ったこともあり、2012年7月17日、無事に労災認定を得ることができました。申立から4ヶ月というおそらく普通より早い認定をいただきましたし、高額と言われた中皮腫の治療費の負担が軽くなったことでご家族から喜ばれました。
ところが、2012年10月、Aさんは、中皮腫と診断されてから10か月近くして亡くなってしまわれましたが、ご存命中に労災認定を得られたことが、ご遺族のせめてもの慰めになればと思います。
弁護士 矢 﨑 暁 子
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