第1 はじめに

岐阜地方裁判所において、日本インシュレーション株式会社の元労働者で、石綿関連疾患により死亡した元労働者の遺族が提起した訴訟において、被告国との間で和解が成立しました。

本件の特殊性は、「営繕」や「ボイラー」等の直接石綿製品を製作する作業以外の仕事に従事されていたこと、医学的な立証が困難であったことにあります。

第2 原告ら

原告らは、元労働者(昭和22年生まれ)の妻、及び二人の子です。元労働者は、平成16年に満56歳で死亡しています。

第3 元労働者の石綿曝露と石綿関連疾患による死亡

1 日本インシュレーション株式会社は、昭和35(1960)年、岐阜県本巣郡に岐阜工場を建設し、けい酸カルシウム保温材などを製造していました。

けい酸カルシウムの保温・断熱材は強度・耐久性が高く、コンビナート・発電所・各種生産設備の設備配管、ボイラー、塔槽類、タンクなどへの保温・断熱材として利用されています。

日本インシュレーション株式会社では、昭和35年5月に生産が開始された「けい酸カルシウム保温材のベストライト(カバー)」は、アモサイト(茶石綿)含有率4.6%であり、昭和40年4月に生産が開始された「けい酸カルシウム保温材ベストライト(ボード)」及び「けい酸カルシウム保温材エックスライト(ボード)」は、アモサイト(茶石綿)及びクリソタイル(白石綿)の合計含有率が10.0%であるなど、石綿を含有する製品の製造・出荷を行っており、昭和54年に石綿含有品の製造を中止するまでは、けい酸カルシウム保温材などに石綿を使用していました。

2(1)元労働者は、昭和41年、訴外日本インシュレーション株式会社に雇用され、「営繕」、「ボイラー」、及び「工務課」等の係の業務に従事していました。いずれも粉じん作業です。

具体的には、昭和41年3月21日、「営繕」係に配属されました。その後、昭和41年10月から昭和46年3月までの間、「ボイラー」係に配属されました。そして、昭和46年3月から昭和48年4月までの間、「工務課」に配属されました。

(2) 元労働者は、作業中の粉じんの吸引により、昭和55年4月4日じん肺管理区分2の決定を受けました。

(3)元労働者は、平成16年1月26日、岐阜市民病院にて、胸水中より肺がん細胞が発見され、その後抗がん剤治療、在宅酸素導入による緩和治療を受けていましたが、平成16年10月25日に2次性肺炎のため死亡しました。

(4) 元労働者の死因について、労働基準監督署調査官は、「昭和55年4月から平成7年1月までじん肺管理区分2の通知を受けており、じん肺が不可逆性の疾病であることを考慮すると請求人のじん肺管理区分は2と判断するのが妥当である。したがって、じん肺管理2の者に発症した原発性肺癌による死亡」であるとの認定をしていました。

これは、元労働者の主治医が元労働者には「両肺、胸膜面に胸膜石灰化病変を認める」とし、肺がんについて「原発性肺癌」であると判断していることを根拠としています。

そうであるとすれば、元労働者が罹患した原発性肺癌は,訴外日本インシュレーション株式会社におけるアスベストばく露作業への従事を原因とすることは明らかでした。そして、原発性肺癌による死亡と認められる以上、元労働者の死亡は訴外日本インシュレーション株式会社におけるアスベストばく露作業への従事を原因とすることは明白でした。

第4 泉南最高裁判決と厚生労働省の和解手続

大阪泉南アスベスト訴訟における2014年(平成26年)10月9日の最高裁判所第1小法廷判決によって国の規制権限不行使が違法であることが確立したことから、厚生労働省は、2015年(平成27年)3月に「石綿工場の元労働者がその遺族の方々が国に対して訴訟を提起し、一定の要件を満たすことが確認された場合には、国は訴訟の中で和解手続を進め、損害賠償金を支払います」と告知することを決定しました。

その際、和解の要件としては次のとおりとしました。

① 1958年(昭和33年)5月26日から1971年(昭和46年)4月28日までの間に、局所排気装置を設置すべき石綿工場内において、石綿粉じんに暴露する作業に従事したこと。

②  その結果、石綿による一定の健康被害を被ったこと。

③  提訴の期間が損害賠償請求権の期間内であること。

そして厚生労働省は上記告知を2017年(平成29年)10月2日以降、各個人別に順次行っています。

第5 訴訟の経緯 二つの争点

1 故人である元労働者の損害賠償請求権を相続により取得した原告らが、国に対して、平成30年6月6日、損害賠償を求めて岐阜地方裁判所に訴訟提起しました(訴額は、印紙代の節約のため、10万円としました。一部請求です。)。

2 具体的な作業内容について

被告国より、元労働者が日本インシュレーション株式会社において、国の責任期間内に従事した作業の具体的内容及び石綿粉じん曝露の具体的状況について、明らかにするように求められていました。

そこで、元労働者の同僚から、作業内容を詳細に聞き取って、その内容を供述調書の形で証拠化して裁判所に提出しました。

3 肺癌が、石綿関連疾患であるか否か

(1) 被告国の主張

被告国は「そもそも元労働者が石綿関連疾患に罹患していたのかどうか自体、判然としないといわざるを得ない。」と主張して和解に応じることを拒んでいました。

なお、元労働者が死亡したのは、平成16年と14年ほど前のことであり、病院にはレントゲン写真やCT写真の肺の画像は一切残っておらず、元労働者の肺癌が、石綿関連疾患であるとの証明が極めて困難でした。

(2) 元労働者に胸膜プラーク所見が認められたこと

しかし、私どもの協力医である久永直見医師は、岐阜市民病院放射線科の診療録に貼り付けられていた、元労働者の胸部CT画像の写真(以下「本件CT画像写真」という。)を読影し、「左前胸部と左傍脊柱から背部に石灰化した胸膜プラーク」、及び「右前胸部には非石灰化胸膜プラーク」を認める旨の意見を述べました。

久永直見医師は、1982年(昭和57年)より約36年間にわたり石綿ばく露が健康にどのような影響を与えるかについて研究を続けている専門医であり、その診断内容並びに意見書の内容の信用性は極めて高いものです。

(3) 久永医師の意見

そして、久永直見医師は、元労働者は、「(1)肺がんに罹患していること、(2)石綿暴露歴が10年以上あること、(3)胸部X線写真に石綿肺所見を認めること、(4)胸部CTにて石灰化胸膜プラークが現に認められるうえ、胸膜プラークの広がりが胸壁周囲長の1/4超である可能性が極めて高いこと、(5)すでに業務上疾病認定を受けていることから、患者(元労働者のこと)が、罹患した原発性肺がんは、石綿関連疾患であると評価できる(石綿粉じんの暴露に起因して発生したものであると評価できる)。」と結論付けました。

第6 和解の内容

以上の訴訟の経緯とたどった末、私どもの立証が功を奏して、国は、既に和解に応じる旨の連絡をしており、令和元年10月15日15時の弁論準備手続期日において和解が成立しました。

具体的には、合計1430万円(慰謝料1300万円、及び弁護士費用130万円)、及びそれに対する遅延損害金の支払いを認めるものです。

第7 苦労して乗り越えたこと

本件のように、被害者が既に亡くなっている場合に、被害者がどのように粉じんにばく露したか、作業環境はどうであったか等について、よくわからないことが多いです。労災申請をしており、労働基準監督署の監督官が聴き取りをしてくれている場合には、監督官の調査内容が記載された文書を取り寄せることによりある程度知ることができますが、労災申請すらしていない場合には、全く資料がないということとなってしまいます。

本件の場合、元労働者は、既に亡くなっておりましたが、生前に労災申請をしておりましたので、労働基準監督署の担当者が、聴き取りをしてくれていて、「営繕」や「ボイラー」等の仕事の概略は分かりました。しかし、具体的に同様な仕事であったのか、粉じんの曝露状況はどうであったのかについては全く知ることができませんでした。

そこで、元労働者の妻に依頼をして、元労働者の同僚を探してもらい、直接お話しを伺うことに成功しました。同僚の方は、私ども弁護団の質問に対し、詳しくご回答いただきまして、より詳細に元労働者の職場環境、作業内容をしることができました。その内容を文書にまとめて、裁判所に証拠として提出することにより、被告国の納得を得て、和解にこぎつけることができたのです。

このようなプロセスは、文章にすると、簡単そうに思えるかもしれませんが、実際には、大変な労力と気遣いを必要とする作業となり、弁護士としての腕の見せ所であるともいえます。苦労を乗り越えて、和解にこぎつけることができて、とても嬉しかったです。

文責 弁護士 見田村勇磨