1 はじめに
昭和30年前半は「造船ブーム」という言葉が流行し、造船業は世間から景気のよい産業と見られていました。非常に安価で有用な建築資材であったアスベストは当然「造船ブーム」である当時、大量に使用されていました。今回は、そんな最中、アスベストに曝露し、悪性胸膜中皮腫(アスベストが原因で罹患する癌の一種)により平成29年に亡くなってしまった方が労災申請をして、これが認められたことにより、「遺族補償一時金」「療養補償給付」「休業補償給付」「葬祭料」の支払いを受けることができたケースについて、お話したいと思います。
2 造船業におけるアスベスト建材の使用
造船業における、アスベストの使用状況について簡単にお話します。
昭和50年以前に建造された船には、機関室、居住区、機器、配管の耐火・防熱・防音材、及び配管のシール材(パッキンのこと)など、非常に幅広い範囲でアスベストは使用されていました。
船は海の上で火事になったら逃げ場がありませんので、高度な耐火性が要求されます。これを実現するために安価かつ高い耐火性を誇っていたアスベストが船の至る所に使用されていたのです。
3 被災者の作業内容
本件のアスベスト曝露の被災者は、昭和30年代に名古屋造船(現:株式会社IHI)に就職し、電気艤装職に配属されました。電気艤装職とは、船全体の配線作業や電気装置、照明器具の設置作業をするお仕事のことです。
特に配線作業においては、穴の空いた壁に電気ケーブルを通した後、綿状のアスベストをセメントと水で混ぜて粘土状にしたもので詰め物をしていました。また、配線作業をしている隣で溶接作業も行われるので、溶接による火の粉からゴム製のケーブルを守るためにアスベスト製の防火シートを巻いたりしていました。これらの作業の際には、ふわふわな綿状のアスベストを取り出したり、シート状のアスベストを切断したりなどアスベストに直接触れることになります。
造船ブームにより過密なスケジュールどおりに造船作業をしなければならなかったので、船内は狭く通気性の悪い上にろくに換気も行われていませんでした。そんな空間の中で壁や天井へのアスベストの吹きつけ作業、アスベスト建材の切断作業が同じ部屋で同時進行で行われていました。そのせいで作業場全体は、常にアスベストで充満しており、このような空間で配線作業なども行われていました。
今回の事件で、特に苦労したのは、このような当時の造船作業の実態を調査することでした。労災申請のためには「被災者はどんな作業をしていたのか」「その作業は、どれくらいアスベストに曝露する作業なのか」という情報がとても大事になってきます。
被災者本人はすでに亡くなっていたので、本人に聞くわけにはいきません。当時の企業に問い合わせもしてみましたが、半世紀前の作業内容が分かるような資料は残っていないとのことでした。そんな途方に暮れていた中、私たち弁護団と親交のある「NPO法人、愛知健康センター」「石播愛知のアスベスト被害を考える会」にご協力いただいた結果、なんと当時の作業内容を知っている人に会うことができたのです。
4 最後に
アスベスト被害に遭われた人達は、高齢であることが多い上、アスベストが原因で亡くなってしまっている方がとても多くいらっしゃいます。残された家族の方も、アスベストは使っていたらしいことは知っているが、具体的に何をしていたか知らないという方も多いです。そんな中、重要なのは少ない手がかりから何とか当時の作業実態を調査する粘り強さです。私たち弁護団は、2005年9月に創設されてから長い間、被害予防や救済を求める各種団体と協力しながら、アスベスト被害と闘ってきた歴史があります。今回の事件は、積み上げてきたものが功を奏し、労災申請が認められました。
これからも、被害救済のために頑張っていきます。アスベスト疾患に悩まされている方やご家族にお悩みの方は、当弁護団にご相談下さい。
以上